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![]() 沖縄本島〜与論島〜沖永良部島〜徳之島〜奄美大島〜宝島〜悪石島〜口之島〜屋久島〜種子島〜宮崎 総走行距離:805,2km これを書くきっかけは、航海に興味を抱く人たちが出て来て、何かの役に立ってくれればという思いからだ。 ただ、いざ書こうとすると参考とする内容がないと気づく。 私の場合、特別な訓練を積んでいるわけでも、航海に関してのさまざまな知識を有しているわけでもない。もしかしたら、このことが最も参考になる情報なのかも知れないが。 そうした私でも伴走船無しで航海が出来ているのは、クルーに助けられているのはもちろんだが、自分たちが持っている能力を把握し、その範囲内で行動する。決して無理をしないからなのだと思う。 私たちが航海している一日は、365日のたった一日の海況を見ているに過ぎない。 海の表情は刻々と変化し、二度と同じ環境はない。 渡れる自信が持てない。もしくは判断がつかない時は躊躇なく停滞する。 停滞した日は、もしかしたら安全に航海できたのかも知れない。 出るべきか停滞すべきかは、航海者にとって最も悩ましく、だが否が応でも決断しなければならない。 サバニはシーカヤックと違って複数の人がひとつ舟に乗る。 比べられるものではないのかも知れないが、たまに単独で決められるシーカヤックがうらやましく思えてくる時がある。 同じ箱の中で楽しい仲間と時を過ごせる喜びに比べたら些細なことだが、、、
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「サバニ航海2011」 沖縄と宮崎は昔から海路で結ばれ深い繋がりを持っていた。 沖縄は琉球、日南は飫肥と呼ばれていた時代からそれぞれは密接に繋がっていた。 沖縄の海人は、この7〜8メートル程の小さな木造船(サバニ)で、遠くは海外にまで渡ったことが知られている。 その材料である杉は、弁甲材として全国的に知られた飫肥杉を使用するのが常だった。 ならば私たちもサバニの故郷である飫肥の地へ帆と漕ぎだけで、かの地に行こうではないか! 台風6号や時化、強い潮に捕まったりもしたが、無事たどり着けた。 私たちのスタイルは、何かにチャレンジすることでも誰かにメッセージを伝えることでもなく、 単純に仲間とサバニで旅を楽しむことにある。 だから、報道機関などに情報を発信することもなかった。 にも関らず、ゴールの油津港、シーガイヤには多くの思いがけない歓迎や心遣いに感激した。 ここをゴールにしたことを改めて良かったと思っている。 私たちの最も特徴的なところは、伴走船を伴わず、支援を募らず、「サバニで旅を楽しむ」という最もシンプルなスタイル。 一見、危険な航海と思われるかもしれないが、何者にも縛られること無く、 毎日目の前の海を見ている8人のクルーで全てが決定される。 それは昔から普通に行われていたとても安全な旅。 目的地、宮崎にゴールしたことはもちろん、クルー全員怪我もなく笑顔で終えたことが最も価値あることだと思う。 最後に、航海中に立寄った島々の人達、日南市の皆さん、シーガイヤの皆さんからの たくさんのおもてなしにクルー一同、心から感謝します。 サバニ旅クルー一同 艇長 森 洋治 *本文「サバニ旅2011」は、宮崎フェニックス・シーガイヤ・リゾート 「MOVE IT ! MOMENTS」に、 航海でクルーが使用した、クバ笠やエーク、Tシャツ等と共に展示されています。 「旅を終えて」 長い時化や台風によって島に足止めされつつも、何とか予定どおり、ひと月で終えることができた。 振り返ってみれば、微妙な判断の連続だったような気がする。 出てはいけない時に出たり、出れる日に躊躇したり、日々その決断に迷う毎日だった。 当然ながら、出港すべきか否かが、航海の最も重要な要素だ。 これはいくら経験を積もうが、その決断に当たってのプレッシャーは、 昔も今も変わらぬ最も重要にして難しいことなのかも知れない。 一人の航海の場合、これほど悩まずに行けるのではないか?と思える瞬間もあったが 皆がいればこそ、冷静な判断が出来た瞬間もあったはずだ。 航海中、いかにも楽しい日々をおくっている印象を持たれるだろうが、少なくとも私は緊張の連続で、 とても旅を楽しむ余裕などなかった。 海を越えて港やビーチに着いた僅かな時間、 つかの間の喜びに浸るも、直ぐに次へのアプローチが頭をもたげ、 終始予報やコースの確認で携帯電話や海図から目を離せない時が出港まで続く。 その隣で、底抜けに楽しむクルーを恨めしく思えたこともあった。 だが、旅を終えた今、小心者の私こそ皆に励まされ、助けられて旅が続けられていたことに気付く。 それぞれが何を成すべきか、自ら考え行動できるクルーだからこそ成り立った航海だった。 今回立ち寄った島の先々で、私は食事の準備や、もろもろの雑用から解放され、 気持ちよく航海に専念できたのも、この数年のクルーの経験の賜物だったような気がする。 誰かに、この航海を聞かれる時、決まって伴走船の有無を聞かれる。 「付けた事がない」と答えると、その反応は大きく違ってくる。 当然と言えば当然の反応だろうが、実際の航海は想像する以上に違った航海になると思う。 サバニでの航海を計画した時から伴走船のことは浮かんでこなかった。 旅の目的は「島渡り」の移動手段をサバニで行う。というものだったから、伴走船を付ける。 などというのは考えもしなかった。(当然ながら伴走船を付けるのを否定するものではないが) そうなると、航海中常に「遭難」というプレッシャーから逃れることはできない。 一方、伴走船を付けた瞬間から、そのリスクから開放される。 天候、コース、潮、潮流、リスク回避、もろもろの準備を始め、その全てに「何かあったら助けてもらえる」 という甘さが出るに違いない。 準備から「死にたくない」が前提にあればこそ、慎重に真剣に、文字どおり「命がけ」で取り組める。 そして結果として、それが最も安全な航海に繋がるのだと思う。 一瞬とて気の休める事のない旅、これこそが私にとっての航海であり、 苦しい中にも何事にも変えられない価値ある魅力的な旅となるのだ。 立ち寄った島々では、言い尽くせない多くの優しさに出会った。 海を越えてくる航海者へ島の人たちの心使いは、今も昔も、もしかしたら変わっていないのかも知れない。 飛行機やフェリーでは出会うことが出来ない、濃厚な島人との繋がりが持てるのも、サバニ旅の特徴的な面白さだ。 この数年のサバニ旅の経験から、島の人たちとのコンタクトも年を追う毎に洗練されてきて、殆ど例外なく歓迎される。 それは、島に立ち寄る私たちの意識や態度も大きく関わっているような気がする。 穏やかな島に、突然得体の知れない人たちが怪しい乗り物に乗って入って来る。 言わば、他人の敷地内に土足でドカドカと無断で入っていくようなものである。 島の人にとっては、警戒して当然だろう。 「私たちは決して怪しいものではございません」「お邪魔します」という心構えを、全身で発信しなければならない。 まずやることは、必ず低姿勢で港の許可を得る。出会った島人には、誰彼なく爽やかに挨拶する。 使用するところは今以上に綺麗にする。こうしたことが意識しなくとも自然と振舞える。 これを繰り返すと、きっと悪い印象を持つ島人はいない筈だ。 昨年の航海中、宮古島池間島に立ち寄った際、許可を得て港にキャンプを張った。 そこは空き缶からタバコの吸殻などが散らばっていた。まずはその周辺を皆で綺麗に片付けた。 次の日、海人が広い影がある場所を紹介してくれた。隣は食堂だったので、そこの女将さんは8人もの人たちが 店の前でウロチョロされると営業妨害になる事をケゲンしていたが、数日の内に、 いつの間にかクルーは厨房の中に入ってスタッフと化し、建物内にあるシャワーを使い、食堂が一段落すると、 皆で食事を作って食べるようになっていった。その内、2階建ての一軒家も無償で提供してくれる人が現れ、 私たちが帰る際は、別れを惜しみ涙まで流す濃厚な間柄になった。 池間島に限らず、多くの島々で全く同じようなことが起る。 私たちは、このように見知らぬ島でのコミニケーション能力が知らず知らずの内に身につき、 旅の幸せのありようを会得していった。 一方、北海道ではシーカヤックは港の出入りが厳しく禁止されている。と聞いた。 地域性もあろうが、個人的な印象とことわった上で、初めにこうした港を利用したシーカヤッカーに責任の一端はないのだろうか?北海道も最初は、私たちが各島々で経験しているように物珍しさも手伝って歓迎された時期もあったと聞く。 それが、いつの間にか出入り禁止にまでになったのは、どうした訳なのだろう? もし私たちのような対応をしていたなら、今のような状態になっていたのだろうか?と想像すると残念でならない。 同じような旅を計画している人たちへ、更に後に続くであろう旅人たちのためにも他所の地に行く礼儀を、 是非わきまえて欲しい。こうした最低限のルールさえわきまえたら、苦労して渡ってきた人たちを歓迎し、 きっと思いがけない出会いが待っている筈だ。 今年の航海は、近年のサバニ旅の集大成のような計画だった。 旅を終えると、むくむくと自然と次の目標が出来ていた。ところが、 今年最終目標を終えたことで、いつもの年にはない達成感に満たされ、次の目標物が見い出せないでいる。 サバニの文化圏である琉球弧(与那国〜トカラ以北)は、宮古島〜沖縄本島間を除けば全て渡り終えた。 (この間は法律の壁に阻まれ渡る事は出来ない。) 近年、年を追うごとにハードルを上げ、サバニの可能性を拡げる。という意味合いが強い航海を行ってきたが、 もし、これからもこの航海に参加したい人たちがいれば、今までの経験を活かし、 原点に返って単純にサバニを使った島渡りを楽しむ。こともしてみたいとも思う。 また、最近単舟でレースに出るようになって気付いたが、単舟での島渡りもそれほど無謀ではないことが分かってきた。 私たちは当然のようにアウトリガーを付けたサバニで航海をしているが、サバニの本来の姿は単舟だ。沖縄の海人は、アウトリガーを選択しなかった。 それは、その方が波に対して強く、より安全だったから、と今でも思っている。 トカラでの経験から、更にその思いを強くした。 風上側と言えども、アウトリガーは相当にプレッシャーを受けるし、あの時、船を軽くして単船の方が波に強いのではないかと、崩れ落ちる波を見ながら感じた。 乗りこなす技術は相当な訓練を要すると思うが、波に対する強さは単船の方にやはり分があるのではなかろうか? これを真に理解するには、逃げる事の出来ない大海の大波を体で経験して、初めて確信が持てそうな気がする。 どこまで体が持つのか怪しいところだが、近い将来是非チャレンジしてみたい。 「サバニは波に強い」と、よく言われる。ある時、サバニで奄美大島まで行った話しをすると、「サバニなら行けるよ」 と、お年寄りが事もなげに言った。それほどサバニは波に強い。という逸話だが、 サバニレースに参加しているチームでさえ、口では言いながら本心で、 そう思っている人は果たして、どれほどいるのだろうか? (そういう私自身も、実はまだ良く分かっていないのだが、) 与那国島からの航海を計画した時、多くはビックリするか、中には無謀という意見もあった。 サバニは基本的なポテンシャルが高く、タイミングを測り、自分たちの能力を知り、その範囲を超えない限り、 超えられない海峡はない。と私は思う。 周辺には程よい距離で島々が点在し、サバニを使った航海には、これほど良い環境は無いと思える。 (だからこそサバニがこの地に生まれたのだろうが、) サバニレースに参加しているチームから、是非こうした島渡りに一歩を踏み出してみたらどうだろう。 ここでもお分かり頂けると思うが、基本的なスキルさえあれば、やっている事はそんな難しいことではない。 レースだけのためにサバニを使うのは如何にも惜しい気がする。 |
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