第11回サバニ帆漕レース
今年もまたサバニの熱い季節がやってきた。
2010年7月3日、座間味村古座間味ビーチにてサバニ帆漕レースが開催された。

私たちが管理しているサバニは販売用を含めると9艇に及ぶ。
レースにどのサバニで参戦するか?
他のチームからすれば贅沢な悩みだ。
女子チーム:女海想は、昨年男子チーム:海想で優勝したサバニ「海想1号」で出る事は決めている。
問題は男子チームだ。
今年、男子チームは単舟(古式)で出る。と決めている。
単舟で出ると決めた理由は、アウトリガーを肯定するためだ。
私は今でも、「アウトリガーは、安全に島を渡るために必要にして重要な装備の一つだ。」と思っている。
単に伴走船を伴って行われるレースに留めるなら、それでいいのかも知れない。が、
このレースをきっかけに、もっともっと沖縄の海に帆かけサバニが浮かんで欲しい。と願っている。
サバニに多くの時間を割けない今の時代にあって、帆かけサバニが今後も普及していくために、
アウトリガーはとても重要なものになってくると思う。
こうした事から、「サバニにアウトリガーを付けるやり方は、時代にあった素晴らしい装備のひとつだ。」と主張してきた。 
(アウトリガーは本来の姿ではない。とする人たちは、この辺りをどこまで真剣に考えているのか甚だ疑問を持っている。)


だが、今まで通りに参加していては、アウトリガーを外せない負け惜しみにしか受け取ってもらえないのではないか? 

ならば、アウトリガーを外して堂々と結果を出してやろう。  
そして結果を出してから声を大にして言ってやろう。
 
「単舟での参加は、アウトリガーの装備に説得力を持たせるため!」と言ってもいい。

そう決めた以上、
出来る限り、どこよりシンプルなスタイルで参加しよう。
古式と言いながら、最新の器具を臆面もなく使用するのはやはりおかしい。

インスペクションとしての問題ではなく、
帆かけサバニの本来の技術を真に身に付ける。という観点から考えたい。 


木造サバニが主流だった頃、最もポピュラーだったサバニの大きさは6メートル。  

6メートルのサバニでレースに参加すると、
定員は最大でも3人となるが、これで徹底的に練習しようと決めた。 
 
レースの規定で、クルーの最大定員は6名。
より大きいサバニで、より多くのクルーで参加した方が言うまでもなく有利となる。 
レースだけを想定して最も早く走ろうと思えば、8.5mのサバニを選択するだろう。 

練習でも帆を上げてのスピードは、8.5mのサバニに6mのサバニは全く歯が立たなかった。  
だがこれで(8.5メートルのサバニで)、もし勝ったとしても、「舟の能力」との評価になる。 

結果を出す事も重要な目的ではあったが、そこはどこよりも多くの練習量で穴埋めしよう。 
6メートルのサバニは、シンプルにしてクルーの能力でしか測れない、
最も素直にその結果が出るスタイルではないか。  

かくして、レース参加艇は、6mのサバニに決まった。
アウトリガー付の場合、早く走るための戦略としてやることは山ほどあった。
が、単舟での戦略は極端に限られる。

あるとすれば、技術を身につけるために、ただただ練習あるのみだ。
自由になる時間は全て単舟での練習に充てた。その日数は30日以上及んだ。  
1日約5時間。時には6時間を超える日もあった。 

海に出ている時間は少なくとも150時間を超えた。  
その中でレースとほぼ同じ距離を4回こなした。
海想が管理している最も不安定な丸底サバニ・アン号(5m/1人乗り)で、レースと同じ距離を帆を上げて渡った。 

アン号は私が今まで乗ったどのサバニよりグラグラするサバニで、練習に使うには最も適したサバニだ。 
これを乗りこなせるようになると、殆どのサバニは楽に乗りこなせるようになる。
3人のクルーが揃う時は、風力8〜10m・波高2m。
漁を控えるような海況の中、更に砕けるリーフの中をわざと何度も超え、自信とサバニの揺れを体に染み込ませた。

この頃になると、大抵の波に対しても臆することなくまた沈する心配は無くなっていた。
 
大波をひと波超える度に、無意識にサバニの揺れに身を委ね、
私たちの技術が身につく前にサバニの能力が波を超えてくれている印象だった。 

帆かけサバニは、いったいどこまでのポテンシャルを備えているのだろうか。 と思えた。
 
初めてアン号に乗ったとき、マストも上げないうちから数秒であっという間にひっくり返った。

水舟になった舟を復活も出来なくて、だらしなく流されるままに時間だけが過ぎ、
殆どの練習は水汲みに終始した。
 「この舟は本当に舟としての機能を果たしているのだろうか?」と真剣に疑った事もあった。 

あの時は遠い過去のように思えるが実はつい最近の事なのだ。

今では、その同じサバニで帆を上げて立って走れるようになっている。 

伊江島でサバニ大工の修行をしていたダグラスが、この姿を見て冗談交じりに
「人類で初めてウインドサーフィンをはじめたのは沖縄の海人だった。」 と表現した。 

私もまさに、沖縄の帆かけサバニはウインドサーフィンのようだと思う。 
またそう思うと練習にも納得がいく。
殆どの人がそうであったように、あの不安定な自転車をはじめから乗れた人はいない。 
ウインドサーフィンに初めてチャレンジした人は、
あまりの難しさに「乗れるようになるには、どれほどの練習が必要か。」と絶望的になるだろう。
それはきっと私だけではないはずだ。
 
それでも諦めずにチャレンジ出来るのは、大波を超えてジャンプするあのプロの妙技を見て、
くじけずに続けられるのだ。

「いずれは、ああ成りたい!」と。
帆かけサバニは残念な事に、目標とするプロフェッショナルが今は存在しない。

だから幾ら練習を重ねても、恐らくは昔に比べたら、
よちよち歩きのひよっこぐらいのレベルでしかないのだろう。 

帆かけサバニの最も特徴的で必要な技術とは、
ティンナー(手綱)とエーク(櫂)を同時に持ち操船するところにある。と私は思う。

少なくとも単舟を操縦するうえでは、
その技術を持ち合わせている事が最も価値あることだと思っている。 


最近、サバニで西表島に立ち寄った際、
干立のビーチに一人乗りの帆かけサバニで練習する若者たちがいた。

その中で、偶然にも昔、帆かけサバニに乗っていた老人に会えた。
若者たちがチャレンジしては水舟になっている姿を見ながら、ポツリと老人が言った。 

「帆で走れるようになるのは、直ぐにできるようになるよ。風上に上れるようになったら本物だ。」と。

この言葉を聞いて、なぜか ホットした。 そしてやっぱりそうか。 と思った。
私のレベルは、老人の言う「直ぐにできるようになる。」のレベルだと思う。

確かに、帆とエークの連動はそんなに時間がかかったとは思わなかった。
それからの課題は、追い風、追い波と、風上に上る。が、まだしっくりときていないのだ。
条件が揃わないと上れないのは、技術の未熟さだと悟った。 
帆かけサバニは風上に上れない。とする人がいる。 
サバニにはキールが無いため、そうかも知れないと思ったこともあった。 

だがこの1年、単舟の練習を重ねる毎にそれは間違っている事に気づいた。
練習を重ねる毎に、どんどん上れるようになってくるからだ。 
難しいのは、波が上がっている時だ。
ヒーザキ(船首)が波頭に叩かれ、その分、下に流され角度を保てない。

だがそれも、エークとティンナーで波に合わせてスピードを殺さずに波に立て、
下りで風を入れる方法を頭ではなく体で自然に体得できれば、更に上れるようになるに違いない。 


要は、全ての乗り物がそうであるように、乗り手の技術が全てなのだ。 

サバニは技術の熟練度によって、その機能を発揮できる極端な乗り物ではないだろうか? 
別な言い方をすると、
技術の習得なしでは、舟としての機能そのものさえ果たさない乗り物なのかもしれない。


久しぶりに、初めてのレースに参加したあの何ともいえない心地いい緊張感を思い出す。 
それはたぶん、自分でも無意識のうちにレースへの準備が出来たと納得していたのかも知れない。



さて、いよいよ座間味に着いて各チームのサバニが並ぶ中
私たちの6メートルのサバニを見て殆どの人は

「エッ。これででるの?」 
「これでは海峡は越えられないんじゃないかなー」 
「まぁーよくて前島までかなー」 

同じ単舟で参加するチームの一人には

「どうせお互い完走できないのだから、どこまで長く沈しないで行けるかだな〜」

と言って肩を叩かれた。 

この言葉は私にとってとても心地いい。 狙いどおりと言ってもいい。
誰もが、これでは勝てないだろう。それどころか、完走すら難しい。と感じている。

「そういう舟で結果を出したい。」との狙いから、このサバニを選んだからだ。


名護では5メートルのサバニが練習の中心だったので、6メートルのサバニはそれほど小さいとは思わなかったが、
こうして多くの艇が集まった中で比較すると、6メートルは確かに小さい。 
39艇の正式エントリーの中では最も小さなサバニだ。
いつの年も、海想は比較的早めにレース会場の座間味島に入っているが、
この年も他のチームの集まりが心なしか遅い。 私が急いでいるのだろうか? 

港だけで練習していてもさすがに飽きてきたので、向かいに見える島を一周しよう。 という事で、
クルーに名を連ねているアキラと二人で阿嘉島を一周しようと企てた。
翌朝、風は南4m。予報は最大で10mとあったが、岸沿いを行けば例え強風で沈しても何とかなるだろう。
との判断から、バナナと水を積み込んで出かけた。

阿真ビーチから嘉比島の北を抜け、阿嘉島の黒埼にへばり付くようにベタ凪の海面を気持ちよく進んでいった。

阿嘉島・儀名埼まで来ると、このままでは思いのほか早く一周してしまうので、
調子に乗って久場島まで足を延ばす事にした。 

リーフを抜けると、大きなうねりが入って来ていたが「ウォー」と叫びながら、
ちょっとしたジェットコースターのようにそのうねりを楽しんでいた。 

阿嘉島と久場島の中間地点までくると、潮も重なり何となくやかましく、
三角波も立っていて、引き返そうか少し迷ったが、
二人で乗っているために舟にも余裕があり、余程の事がない限り沈する事はないと判断してこのまま向かう事にした。 

南の空に厚い雲がかかっているのが少し気になった。 

大事をとって久場島一周はあきらめて、正面に見えるビーチまで行ってトンボ帰りしようと思っていた。 

やがて、気になる雲のところから白いカーテンのように雨が降っているのが見えた。 
この場所からだと、雨雲は際どく久場島南を交わすだろうと思ったが甘かった。 

厚い雲はどんどん近付いてきた。 

久場島にもう一歩のところで、「アキラ、やっぱり引き返そう。雨と風が来る!」 
急いで反転した。 

阿嘉島を一周しようとしていたので、空港があるゲルマの方に向かおうと思ったが、
サバニはどんどん西に流されていた。 

とにかく雨と風が来る前に一番近いビーチに着こう。 
流されながらも最も近い海岸に向かった。 

ところが潮が相当に早い! 

潮のスピードは、帆と漕ぎのスピードと全く変わらなかった。 
阿嘉島と久場島の距離は全く変わらず屋嘉比島にどんどん流されていた。
もし帆と漕ぎが無かったら、あっという間に屋嘉比島西に流されていただろう。 

やがて雨がポツリポツリと降り出した。 

まずい! 

反転した時は、阿嘉島のどこかのビーチでプチ前線を交わし、治まったらまたゆっくりと出よう。
と思っていたが、今となっては島に辿り着く事が最大の目標になっている。 
風が上がる直前に帆を降ろし、二人で一心不乱に漕いだ。 

やがて、強風と視界を遮る土砂降りの雨となり、島影も全く見えなくなった。

最悪を想定し、視界が遮られる直前に島間を確認した。
風と波、舟の角度を確認し、もしこのまま状況が好転しなければ
風、波の下(しも)に真っ直ぐに進めば屋嘉比島に辿りつける。 

阿嘉島に辿り着こうと必要以上に頑張って、もし辿り着けなかったら、
視界が悪い中を、阿嘉島と屋嘉比島の間を抜ける事になるかも知れない。 

そうなると、後は本部半島か伊江島まで行くしかない。 
迷っている時間はそんなにない。 
空を見ると西の空が僅かに明るかった。 

少ししたら強い雨は止む。 そうしたら島も見えるだろう。 
それまでは、このままの方向を維持しよう。と決めた。 

この位置でもまだ西への潮が治まっていなければ、流される方向はまだ屋嘉比島南側になる。 
このまま進んで視界が晴れなければ、波の方向に真っ直ぐに屋嘉比島に向かえばいい。

救いはこの状況の中でも、アキラに焦る様子が全く見られない。 

「アキラ!このまま暫くガッツリ漕ぐぞ! 
ダメだったら向かいの無人島で遊んでからゆっくり帰るぞ!」  

「ヨッシャー!」 
 
アキラはこの状況にも関わらず底抜けに明るかった。 
アキラに多少の動揺が見られたら、迷わず屋嘉比島に向っていただろう。 

島影を遮った程の土砂降りはほんの一瞬だった。 
雨と風が少し治まったタイミングで、一か八か、帆の力をかりて進んでみようと思った。

理由は
島が見えた時、阿嘉島の最後の岬も間近に迫っていた。
このまま二人で漕いでも辿りつけるか怪しかった。 
この強風は、名護での練習で何度か経験していていた。

何とか沈せずに行けるのではないか?  

もし仮に沈しても、復活を試みて屋嘉比島に向かえばいい。
流されながらも阿嘉島へ向かう時間はそんなに残ってはいない。
チャレンジするなら今しかない。 

「アキラ 帆を上げて! 早く!」 

私は漕ぎを止め、ティンナーを引き、強い風を帆に伝えると舟は大きく揺れた。 
アキラはバランスを取ろうとして、どうしても漕ぎが疎かになる。 

「大丈夫! 揺れを気にしないでガッツリ漕げ!」 

「ヨッシャー!」 

沈するか、阿嘉島に辿り着くかの狭間で、アキラのバク漕ぎも手伝ってサバニはグングン加速した。
そして数百メートル先に潮目が見えた。 

交わした。 

潮目を超え、辿り着いたビーチは最初に阿嘉島を交わした黒埼まで来ていた。  
伊江島までの航海をせずにすんだ。 

浅瀬にサバニを係留し、アダンの奥に身をかがめ天候の回復を待った。 
しばらくして西の空に青空が顔を出した。  

帆を上げたのは、ちょっとした賭けだったが、今回は「吉」と出た。 
遊びで出かけたサバニがレスキューされていたら洒落にならないなー。と思いながら、
高速船で来る仲間たちに、連絡をしようと思ったら、そこは圏外だった。
少し休憩を挟んで、ゆっくり阿真ビーチに向かった。 

黒崎を超えた辺りからまた風が上がってきたので、
用心をとって嘉比島と安慶名敷島の間を抜けようと向かったら、また雨交じりの突風に阻まれた。 

嘉比島 北を抜けるには、この風はリスクがある。 

阿真ビーチまでは僅かな距離だが、
久場島の潮を経験したばかりだったので北に流されないかビビっていた。 


嘉比島で、またまた風が収まるの待った。  
嘉比島 西で、突風の中サバニを何とか係留して、灯台のある小さな丘を登ると阿真ビーチが見えた。
ここでやっと携帯が通じて、少し遅れる事を伝えた。 

海況は強い風にも関わらず、思った程荒れていなかった。 
安慶名敷島と、その先にある安室島によってうねりは遮られていた。 

嘉比島の北端も荒れていない事を確認してから、
雨が止んだタイミングで嘉比島 北を回り、
岸沿いを南下し、安慶名敷島近くから縮帆して阿真ビーチに向かった。

やれやれ、何も無かったから良かったものの、
島廻りといえ知識のないままでのこの天候は本当に怖いなーと感じた。
 

他のクルーは、なかなか帰って来ない私たちを不思議に思っていたようだ。

最初に連絡した時は、てっきりゴムボートで回っているものとばかり思っていたようだ。 
サバニで行っていた事を伝えると 「えーーーーっ。」 

結果としていい練習になったが、いざという時のオプションなしでは、
私たちのレベルはまだまだだという事を嫌というほど教えられた日だった。

阿真ビーチは向かい風が微風になったり強風になったりで、練習には持ってこいの環境だった。

アキラは早くから座間味に入っている事で、朝から晩まで単舟の練習に明け暮れた。 
名護では十分にサバニを占領出来ない事から、
たまに乗れたとしても沈の復活が殆どの時間を占めていた。 

長時間サバニと戯れている事によって、どこかのタイミングでポン、とコツが掴めてくる。  
アキラはそのコツを掴んだようだった。 

後はしめたものだ。 
これから先は海に出ている時間が全てを解決してくれる。 

小さなサバニは練習には最高の乗り物だと思う。 
操作が素直に伝わるからだ。 

エンジンを載せる目的で造ったサバニは、
元々 帆で走る事を前提に造っていないので微妙な操作は練習には不向きかも知れない。

もしこれから帆かけサバニの練習を本格的にやりたいと思うなら、小さければ小さいほどいい。 

もっと言えば6メートル前後が最も適していると思う。 
この大きさが帆かけサバニ全盛の時 最もスタンダードだったというのも頷ける。
 
座間味に来てから天候がどうも安定しない。 
練習だけならそれでもいいが、大会を明日に控えても一向に治まる様子がない。 

結果を出すどころか、この海峡を無事越える事ができるのだろうか? 
そっちの方の問題になってくる。 

夜、最後の天気予報を確認しても良くなる兆しは無かった。 

もし実行委員会が、那覇までのレースを行う。 と発表しても、
私だけは棄権することを恐れない。と心に決めた。
大会当日、やはり風は落ちていなかった。 

まだ実行委員会からの決定がなされる前、午前6時。 
「男海想チームは棄権する。」 と、 クルーに伝えた。 

理由は、この海況を単独で渡れる自信が無かったからだ。 

前々日に座間味島のある知り合いに、
「芳しくない天気予報からレースは中止した方がいいんじゃない?」 
そう言うと、「ビビっているの!」と言われた。 
ビビっている。 と言われれば、全くその通りだ。 

名護の練習では、今回予想される波は何度か経験してきた。 
ただそれは、万が一 沈しても、流され陸に辿りつけるという安全策を前提にしている。
「最悪、伴走船に拾ってもらえる。 」という甘えの中でのレースは、絶対にやりたくないと思っている。  
毎年行っている、サバニ航海と何ら変わらない心境なのだ。 

もしレースだけにこうした甘えが生じて、結果として完走した場合、
後に大きな過ちを犯す気がする。 

どんな時でも最悪を想定し、単独でそれでも行ける!と思ったとき以外は海に出てはならないと思っている。 

他のチームもこのリスクは同じだと思う。 
サバニが沈する海況の中、伴走船でのレスキューはやはりリスクを伴う。 

この大会が今後も発展していくためにも、海峡横断は安全を第一に選択すべきだと思う。

レース参加者の中には、伴走船を頼りに、勢い 決行を主張するチームもいるだろうが、
各注意報の基準の他に、大局的な判断をそれぞれがすべきではないだろうか? 
実行委員会からの決定がなされる前に、早々と宜野湾マリーナからの伴操船には中止の連絡をいれた。  

午前8時、大会実行委員会で島内のコースに変更する事が決まった。  

私の事より、他の38艇がこの海峡を渡るリスクが回避された事で、
ホット胸をなでおろした。

コース短縮はあらゆる方向からの風を受けるため、チームの総合的な力が試される。

那覇までのコースは一方向のため、
それに特化した装備は、例え早く走れたとしてもそれは価値ある事だとは思わない。 
思いがけない天候や変更がなされても、力を発揮できるチームこそが総合的な力のあるチームではなかろうか?

私もこのレースをきっかけに帆かけサバニに乗るようになったが、今では決してレースのためだけのものではない。 
むしろサバニキャンプや島渡りがその中心になっている。 

もちろんこのレースが、サバニを扱う技術の基礎になっている。 

レースによって早く走るための努力は安全に航海するために絶対に必要で、
その努力は今後もエンドレスに続くだろう。

一旦は棄権しようと決めたが、コース短縮によってレースに参加できる。
今となっては無欲での参加だ。 

ここからは沖合の波の大きさは見えないが、昨日の練習で「行ける」と思った。

 
波も風も
名護で経験している以上には上がっていないと思える。


戦略


最初の立標は僅かに帆に風を捕まえられる角度だが、これでコースは維持できない。 
漕ぎを入れてやっとコースを維持できるぐらいだ。  

ならば帆によってコースを維持できるまで、

・まずは風上に真っ直ぐに上る。

最初の立標は潮と風がピークに上がり、どのチームもここに辿り着く事が最も大変だろう。 
ここをサイドから風を味方に、最も早いスピードで入れれば潮は気にならないし、風はむしろありがたい。 

・定員3人の予定だったが、スタート時は波も上がっていないだろうから立標までは4人で行く。

コーナーに近付いて、もし波が上がっているようだったら1人降ろし、3人で行く。
できれば2番目のコーナまで4人で行く。

ここに辿り着いたら2番目のコーナーまでは度向かい風のため戦略はない。
帆を下ろし徹底的に漕ぐのみ。

・2番目のコーナーを越えたら追い風の中、3人で行く。

というざっとした戦略を立てた。 


スタートから風上に上るこのコースを取るチームはきっといないだろう。 

この計画が取れたのは、この数年のサバニ航海によるところが大きい。 

潮と風を効率よく利用、もしくは悪影響を最小限に抑える方法だ。 
伴走船が無い航海では失敗は許されない計画とも言える。
 
スタートホーンが鳴った。 

ほとんどのチームは真っ直ぐに向かった。 
私たちは単舟のため、初めから沈を恐れ一人一人落ち着いてゆっくり乗り込んだ。 

そして帆を降ろし、戦略どおりに風上である養殖網があるブイに向かった。 

横から来るサバニを一艇一艇交わして行くうちに、どうも様子がおかしい。 
他のチームの向かう方向が灯台の方に向っている。
他の艇にぶつかりながら、前を漕いでいたクルーが「なんで? どっち どっち?」  
「あっち?」と、ぶつかった艇に聞いていた。 

私たちのコースはいきなりスタートから間違っていた。  

黄色い旗を上げたボートを交わさなければならなかった。
皆が向かっている方向を見ると、既に何艇かはそこを交わしていて、真っ直ぐに立標へ向かっていた。  

慌ててサバニを反転させて、遅ればせながら帆を上げた。 

旗のボートを交わす辺りは込み合い、ボートでごったがえしていたが、
アウトリガーのない小さなサバニだった事もあり、遠慮せず前に前に突き進んだ。 

コースのボートを交わし、改めてかねての戦略どおりブイに向かった。 
コースのミスから、この時点では20チーム以上が私たちの前を走っていた。 

焦りから、立標に向かいたい衝動をグット堪え計画どおり、あらぬ方向へ一人旅をした。

予想通り、このコースを取るチームは無かった。 
予めコースの説明をしていたクルーでさえ、また間違っているのではないか、と思った程だった。 

私たちのコースは、養殖のブイに近づけば近づくほど風は島に阻まれて弱くなっていた。  
一方、遥か斜め前方を走っているチームは、潮と風がどんどん上がり、条件は悪くなる筈だ。

黒いブイに手が届きそうなところで、遅ればせながら帆を上げた。 
この時点で私たちは最後尾に近かった。
 
ここからが勝負だ。 

弱い風だが、いっぱいに伸ばした帆は漕ぎもプラスして上った。 
島の壁が取り払われると、更にグングン加速しみるみる内に立標に近づく。

潮と風によって、嫌が応でも北に流される。
予め立標に目標をたてずに更に上った。 
立標を交わす頃は、前を行くサバニは数えるほど上位に位置していた。 

5位か6位。だいぶ挽回した。 

後ろを見ると、想像していたとおり、どのチームも潮と風に苦戦していた。 

ここからは、ど向い風のため帆を下ろし無心で漕ぐのみ。 
波は素直なうねりが入っているだけで思ったよりおとなしかった。 

このまま4人で行く事にした。


伴走船の応援が聞こえてきた。 

気づくと、いつの間にか女海想が隣にいた。
 
女海想を交わしながら、ちょっと複雑だった。 

世界一早いサバニが、まだこの位置? 
6メートルでの参加ではざまみ丸には敵わないだろう。 その分は女海想(1号艇)に頑張ってもらおう。 
サバニのポテンシャルは十分にある。 
1号艇なら練習で漕ぎも鍛えている事から、女性とて勝てる要素は充分にあると思っていたからだ。

女海想を交わすと、前は3〜4艇ほどになった。 
前の艇に標準を合わせ、ゆっくりではあるが1艇また1艇と交わす。
小さいサバニとは言え、向かい風に上る能力は全てのサバニと比較しても恐らくトップではなかろうか。

実行委員会のボートに私たちの進むべき前方を塞さがれ、やむなく交わしたところ
ブルーの沖水号にぶつかってしまった。
沖水号には悪い事をしたが、目の前で一部始終を見ていたので分かってくれたと思う。 

小さなサバニから大きな手ぶりと声で 「邪魔だ! どけー」 と叫んだが、エンジンの音でかき消され聞こえなかったのだろうか?
(それにしても前回のコース変更の時に続いて、警戒船は周囲のサバニに細心の注意を払って欲しいものだ)
沖水号とは大きなトラブルもなく交わす事が出来た。


すると目の前に、ざまみ丸がいた。
 
スタート直前では、コースのミスから遅れをとり、黄色い旗のボートを回らなければならないと気づき、
その先に目を向けると、ざまみ丸がトップに立って早々と一人旅をしていた。 

大きなミスから男海想は半ば上位を諦め、 「女海想任せた!やってくれよ!」 と念じていたが、 
まさか私たちがこの時点で捉えられるとは思ってもみなかった。 

ざまみ丸と横一線に並んだ時、大きな声をかけた。 
艇長の名を呼び、ちらっとこっちを見たタイミングで「ロープで引っ張ってやろうか?」  
ちょっとした息抜きのつもりが、全く反応はなかった。 聞こえていなかったのだろうか。

そして、ざまみ丸も交わした。 
交わしはしたが、それでも2番目のコーナーまでが勝負だ。 

帆走では、ざまみ丸には全く歯が立たないだろう。
帆を使えないコーナーまで、どれほど ざまみ丸との差を広げられるかにかかっている。
前にはあと1艇、新夏丸がいた。 
スタート直前でマストを折ったため、漕ぎだけでこの位置にまで来ている。

新夏丸は県内でもトップクラスのハーリーメンバーを中心に集まっているチームだ。 
漕ぎはどのチームより勝っている。 
加えて、強風の中でもマストの抵抗を受けずに進めるメリットは大きい。 

当然といえば当然の結果だが、それでも僅かにではあるが徐々に近づいていた。 
単舟はアウトリガー付きに比べて 波、風の影響を受けにくく、
帆を使わない向かい風は有利となる事が、これで分かった。 

いずれにしてもこれより先、残念ながら新夏丸は最後まで帆を使えない。 
現時点で私たちはトップにたっているといっていい。 

上りのコーナーを超え
ここから先は1人降ろし、帆をフルに上げた。 

安全策をとって一段縮帆するか迷ったが
名護で強風での練習と前日の冷や汗のチャレンジに比べれば、このぐらいの風はどうってことはない。 

拾ったチャンスと思って、ここから先はフル帆でガンガン行くと決めた。

 
帆を上げると間もなく新夏丸を交わした。 

交わす間際に 「ガンバレ ガンバレー!」と、大きな声で励ましの声をかけたが、
全員がわき目も振らずに力強く一心不乱に漕ぐ姿は感動的ですらあった。

追い風とはいえ、これからゴールまで延々と漕いでしか方法のない新夏丸を思うと
心から 頑張れー! と応援せずにはいられなかった。

多少斜め後ろとはいえ、追い風と追い波は単舟の最も難しい局面に入った。 

こうした時、真っ直ぐに向かおうとせず 浅い角度でジグザグで行く。

うねりは多少入ってはいたが
素直なうねりのため、波に乗ったときだけ気をつければ何ということはない。

4月の名護でのレースの時は、微風の追い風にも関わらず帆の扱いがうまくいかずに右往左往したが、
3ヶ月で更に条件の悪い中でも何とか維持できるようになっている事が嬉しい。 

後ろを振り向くと、まだ ざまみ丸の帆は見えない。 
波間に小さく新夏丸が見えた。 この時点でトップを確信した。 
仮に今、ざまみ丸が帆を上げられたとしても、私たちのスピードに追いつくには距離が足りないだろう。 
後は前だけを見て、どこかに落とし穴がないか確認した。 

ここからは無理はせず、安全策をとって少し風を逃がし、なるべく風が落ちているところを選んで進んだ。 

2度のコーナーで何度か水汲みをお願いしただけだった。 
帆を上げてからは、1度も水汲みをする必要はなかった。 
小さいながらも、このサバニはすごいポテンシャルなのだ。 

私は、帆とエークは一瞬たりとも離す事は出来ないので、たとえ水汲みの時でも他のクルーがやる事になる。 

安室島に差し掛かる頃、女海想の伴走船がなぜか応援に駆けつけていた。 
後で聞いたら、優勝を確信してその瞬間を見るためだったという。

2人のクルーは、帆走のスピードに合わせゆったり漕ぐ。

やがて阿嘉島の山の切れ目から風が吹き抜けるため、ここだけ慎重にしなければならない。
波を見てもはっきりとそれを示していた。
予め、なるべく影響を少なくするつもりで安室島近くにコースを取っていた。 

風の強さを確認するため阿嘉島の方向に目をやった。 


何と、直ぐ後ろに、全く見えていなかったざまみ丸がそこにいた。 
信じられなかった。
レースコース サバニ帆漕レース公式サイトより


ワープでもしたのかと思えるほど一瞬の出来事だった。
こんな事なら余裕をかますのではなかった。 
またリスクをおかして 慌てて帆に風を入れた。 

そして最も強い風を探した。 
そして見つかったところ、まさにそこに ざまみ丸がいた。

やられた。 と思った。
とにかくやれるだけの事はやろう。 

クルー1人追加の連絡をしたが、見学のために女海想の伴走船がこっちにいるため、
男子クルーを乗せたゴムボートは女海想に付いていて追加ができない。 

沈のリスクを無くすためのジグザグ走行を止め、追い波を利用する事にした。

少し阿嘉島寄りに向かいながら、追い波の時だけ舟を立てて波に乗った。 

多少のリスクをおかしているので舟は大きく揺れてはいるが、確実にスピードは上がっている。
 
それでもざまみ丸にどんどん引き離されていく。
何か方法があるはずだ! と思いめぐらすのだが、いくら考えても今となっては手遅れだった。 

ざまみ丸の帆が少しずつ小さくなっていくのを見ながら考えていた。 

ざまみ丸がどうしてワープできたのか?

ワープできたのではない。 理由は簡単だ。
右に差していたエークのため、若干 体が右に向いている。 
当然、後ろを振り向くとしたら右からとなる。 

加えて、後ろを見るタイミングは沈を恐れて追い波を交わしたその瞬間しかない。
追い波を交わす。という事は、その波に乗らないように 舟をワザと左に向ける。 
このタイミングで振り向くと、振り向いた右側は極端な死角となる。 

ざまみ丸が既に帆を上げグングン近づいているにも関わらず、視界に入らなかっただけだった。 

ざまみ丸は遅れを取り戻すため、最大限の努力をしていたその時、
私たちは「慌てなくていいよ ゆっくり行こう」などと のんきな事を言っていた。


最終コーナーに差しかかった頃 ゴムボートがクルーを乗せてやってきた。 
だがその時は島の岬の影響で風が回っていた。 
加えて潮と波で海がざわついていた。 
クルーを乗せるタイミングとしては最も悪い条件だったが、ちょっとだけでもレースに参加させたくて、
少し風が治まったタイミングで1人を乗せ、ゴールまで4人で漕いだ。
港の防波堤がはっきり見えた辺りで、ざまみ丸の漕ぎが止まったのが見えた。


私たちのゴールは、それから5分後だった。
 
 

協賛頂きました皆様へ厚く感謝申し上げます。

株式会社 林檎プロモーション  有限会社 ココブロス  株式会社 一点鐘  やんばる海の駅
有限会社 コスモ不動産

その他にも多くの方から協賛いただきました。
厚く感謝申し上げます。


Copyright(C)2005海想オリジナル, Inc. All rights reserved